地形、地図、地名の沼も愉しい

隅田川、けっこう船が行き来します

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地図を信じちゃいけないよ〜

日本人におなじみの世界地図。
北が上で、メルカトル図法で書かれています。


(総務省統計局のHPより)

球を平面にするのですから、実際の地形(特に、はしっこの方の大きさ)とは異なります。
グリーンランドやロシアはこんなに大きくありません。
位置関係も微妙に違います。

なので、この地図に慣れている人は、某国からアメリカにミサイルを飛ばしたら、日本の上を通過する〜となってしまいますし、日本の真東はアメリカのLAになってしまいます。
(地球儀で見てみると、違う方向に飛ばしたほうが距離も短いし燃料がぐっと少なくてすみますし、日本の真東はハワイを通って、南米のチリになります。)

地図は使う人が向きを決める

現代の世界地図は北が上となっていて、それに合わせて国名、地名などが書かれています。
ですが、昔の地図は北が上とは限りません。

たとえばこちらの江戸時代の地図は、もともとは東が上として書かれています。
基準となる「御城」の文字もそう書かれています。

でもこの地図では、「御城」の文字が逆さまになっています。
よく見ると、北は向かって右側になっています。
今の地図(北が上)のように見せるため、変な置き方になっているようです。(複雑〜)

東が上が正位置なので、この当時の地図では、東西がタテ、南北がヨコとなります。

昨日のブログでも書きましたが、現在の首都高7号線の下を流れる竪川(たてかわ)。
東西方向に流れています。

今の北が上の地図では、左右、つまりヨコに流れているのですが、江戸時代は御城に対してタテ位置に流れていたので、「タテカワ」で良かったわけです。

昨日は触れませんでしたが、この竪川に南北(今の地図ではタテ方向)に交わる川が錦糸町の当たりにあります。
その名も「横十間川」。「ヨコ」向きの川でOKなわけです。江戸時代は。

地名もいろいろ

日本に目を向けてみると、昔は京都が基準になっていたので、今の北が上の地図だと違和感があるものもあります。

たとえば今の千葉県。
昔は上半分(チーバくんの顔のあたり)が下総国、下半分(チーバくんのおなかのあたり)が上総国。
北が上だと上下が逆です。

これは京都に近いほうが上、遠いほうが下ということから、こうなっているのだそうです。

同じように今の福井県、富山県、新潟県、それぞれ昔は越前、越中、越後の国でした。
これも京都に近い方から前、中、後となっていたとのことです。

こうやってみると、地名にもその由来があって、それを辿っていくと歴史が垣間見えて愉しいです。
いろいろ調べていくと、あっという間に時間が過ぎてしまいます〜。

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