自然は相対的にできている

この業界にいて感じるのが、「数字には2つの側面がある」ということです。

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「絶対的」な意味の数字と、「相対的」な意味の数字です。

絶対的なものとしては「額」や「量」といったものがあります。
相対的なものとしては「率」「比」「平均」でしょうか。

よくたとえ話で使うのは、塩分濃度。

塩分の摂り過ぎは良くない。
だから味付けは薄味に、なんて話が出るわけですが、薄味か濃い味かは、舌が感じる相対的なもの。
薄味だろうが濃い味だろうが、全部食べてしまえば塩分そのものの摂取量は同じなわけです。

人間の体にとっては、塩分濃度が何%だろうと、1日に塩分を15gも摂ったらよろしくないし、逆に塩分がゼロだと、これまた人間の体にはよくありません。

不足しそうになると摂ろうとするし、摂りすぎると排出しようとします。
人間を含めた生き物は、入と出を上手にコントロールしながら、バランスを取っているのです。

数字の世界では、100から100を引けば、ゼロになります。

でも、自然界ではこの算式は成り立ちません。
ゼロにすることはできません。
というか、成り立たせるのはものすごく困難です。

どんなにきれいに手を洗ったって、何かしらの雑菌はついています。
日本の水道水はきれいですが、その水道水だって不純物が混ざっています。

精製された超純水でも、東京ドーム1杯分に角砂糖1個分ぐらいの不純物が混ざっているそうです。
水道水は・・・、知らない方がいいかもしれません。

それでも水道水を普通に煮炊きに使っていますし、それを超純水レベルにしろという話にはなりません。

不純物と言うから、汚いもののような感じがします。
でも不純物とは、「それ」以外のもののことです。

有害なものもあるかもしれませんが、無害なものもあります。
それが相対的に僅かなものであれば、別にあってもいいわけです。

自然界は「ある特定のものだけ」の純物などはありません。
人間だって、不純物だらけと言ってもいいと思います。

昨今のさまざまな不寛容は、明らかに異常だと思います。
「〇〇をゼロにしろ!」というのも、とても無責任だと思います。

純物も不純物も、どこかでは害かもしれないが、別のところでは益かもしれない。

様々なもののバランスで成り立っている、この世の中。
相対的に折り合いをつけていく、そこに知恵を使っていきたいものです。

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