お札の肖像の方と言えば・・
学問的には福沢諭吉で終わってる
簿記は会計にとって必須のものです。
簿記は学問か?と問われれば、私は「学問ではない」と答えます。
150年前に福沢諭吉が訳したように、「帳合之法」つまり帳簿の付け方のマニュアルだからです。
(みんな大好き?福沢諭吉先生)
左側を「借方」と訳し、残高一覧表を「貸借対照表」と訳し、こうやって帳簿をつけなさいということを示したに過ぎません。
借方、貸方、貸借対照表といった、外国語を日本語に翻訳したのはイケてないです。
ただ、それまでの漢数字を算用数字に直し、カンマ(3桁ずつ付ける「,」)を取り入れたのは素晴らしいと思います。(つまり日本語から外国語にした)
壱千五百弐拾七+弐百弐= では計算が難しいですが、
1,527+202=ならかんたんです。
では、その翻訳の元は?とたどれば、500年ほど前のイタリアにたどり着きます。
日本に入ってくる頃にはもう骨格は完成されていて、日本に入ってきてからもそのしくみは変わっていません。
経営者に簿記は必要か?
必要か?必要でないか?と問われれば、私は「必要」と答えます。
もちろん、200個ぐらいあるといわれる「勘定科目」など覚える必要はありません。
手形の仕訳が切れなくても構いません。
でも、
・手形をもらっても、すぐにはお金にならない。
・手形を割り引くということは、銀行からお金を借りることと同じ
(だから利息(割引料)を取られる、与信によっては割り引いてもらえない)
・手形は支払いに使えるけど、不渡りになったらウチがいったん代わりに払わなければならない
といったことを理解しておくことは大事です。
(もう手形取引はなくしてほしいですけど)
励みにはなりますから、もし試験を受けるなら「簿記3級」合格を目指しましょう。
(勘定科目とかは少し覚えなければなりませんけど)
簿記の試験が目的ではなく
経営者にとって大切なのは、簿記の試験に受かることではありません。
簿記という、500年近くほぼその骨格が変わらないしくみが現にあります。
この簿記(複式簿記)しくみがなぜ変わらないかといえば、それが根本的なしくみだからです。
デリバティブとか暗号資産とが出てきても、それが金額的な価値があるものなら、結果的にはこの簿記のしくみに取り込まれることになります。
簿記は経済活動における、エスペラント語のようなものなのです。
どんなに高度な経済取引が出てきても、このしくみに取り込まれるのです。
借方がどうの、勘定科目がどうのでもありません。
(経済)事象が会計にどうやって現れるか?
そのしくみを理解するために、簿記は必須科目だと思うのです。
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