最近この本、話題になっていますね。
AIに関する(特に日本人の)誤解と、教育のあり方について述べられています。
この本の主題は教育についてなんですが、AIについても非常に興味深く読みました。
「AIは入力に応じて計算し、答えを出しているに過ぎない」
自分が常々思っていたことを、いい切っていただいていました。
この本を読み進めていると、以前読んだこの本が思い浮かびました。
AIと解剖、全く異質なもののようですが、私はこれがつながってしまいました。
養老先生によれば、人間を含めた自然物は切れ目がない。
それを切るのは「言葉」であるが、すべてが切れるわけではない。
一方で新井先生は、言葉には明らかに記号の羅列以上の「意味」がある。
ところが「意味」は観測不能である。
AIは単なる技術であり、科学や技術は「なんだかよくわからないけれども複雑なこと」を、数学の言葉を使って言語化し、説明していく営みである。と。
つまり、私が思うに、言葉に表されない、あるいは表すことができないこと(もの)が自然物と非自然物を分けているものであり、言語しか理解できないAIは人間などの自然物を超えることはない。
しかし、AIの深化により非自然物の領域は広がっていきそうなので、自然物の端くれである人間は、自然物としての立ち位置を認識していくことが求められているのではないか。
GWもまだ始まったばかり。
読書三昧のGWとなりそうです。