路(みち)の歴史が垣間見える

隅田川にそそぎ出る神田川(左から右へ)

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山手線半周分

先日、首都高を車で走りました。
(乗せていただいてですが)

高速に乗ったのは大井町。
北へ向かいます。

ナビを見ると空いているルートが出て、それに従い走ります。
ほどなくしてトンネルに入りました。

走れど走れどトンネル。
「ずっと地下なんですか?」と思わず聞くと、
「池袋まで地下を走ります」とのこと。

このトンネルは山手トンネルで、全長18.2km。
道路トンネルとしては日本一の長さです。

位置的にも距離的にも山手線の半周分、ずっとトンネル。
あまりの長さに、ちょっと気持ち悪くなりました(笑)

首都高速

首都高速は「地下化」が進んでいるようですが、もともとの首都高は、川の上を走っている部分が多いです。

一番最初の東京オリンピックのときに作られましたが、土地の準備ができず、融通の聞く川の上を走らせることで、首都高ができました。

隅田川のあたりはこんな感じです。

両国ジャンクション下、左が6号線、右が7号線です。

ここで6号線は隅田川の左岸から右岸へ移り、川に沿って北上(写真の右から左)、7号線は竪川水門から竪川の上を東へ(写真の奥の方へ)進みます。

日本の建築技術はすごいものです。

その昔は水路

江戸時代は水路が需要なインフラでした。

隅田川は北から南に流れ、江戸湾(東京湾)にそそぎます。
隅田川以外にも、江戸は南北に川が流れていて、東西の行き来が難儀でした。

7号線の下を流れる竪川は、江戸時代に作られた人工河川で、隅田川と江戸川をつなぐ水路でした。

また冒頭の写真、隅田川にそそぐ神田川。
これは江戸市街(今の飯田橋・水道橋界隈)の水害対策などの理由により神田山を切り崩し、御茶ノ水ー秋葉原へと流れを付け替えて柳橋から隅田川に流しました。


(水道橋から御茶ノ水方向を望む、ここらへんから山が左右に)

そして隅田川から柳橋の方に曲がると、

鳩が飛び出してびっくり(笑)

柳橋付近は昔の花街。
屋形船にその名残りを感じます。

東京のそう大きくない河川で東西に走っているもの、それに垂直に交わっている川は、だいたい江戸時代に作られた水路(人工河川)の名残りです。
けっこうあります。

両国ジャンクション(駅でいうと浜町あたり)から柳橋までは、1kmもないです。
また、隅田川沿いには遊歩道があります。

そこに江戸〜平成の路(みち)の歴史の場所があったとは。
カメラを持って、ぶらぶら歩くには、いいところです。

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