吾唯足知

座右の銘、なんて大げさなものではないですが、この言葉、好きです。

■ ■ 発売中 ■ ■
決算書のつくり方
kindle版 

なぜ社長は決算書に興味がないのか?
Kindle版

吾、唯足るを知る


(以前龍安寺に行ったとき、買ってきた色紙です)

京都の名刹、石庭で有名な龍安寺の縁側にある蹲(手水鉢)にあります。
蹲のまん中、各漢字に共通の「口」という文字。
ここから水が湧き出ています。

これは禅の言葉で、「必要なものはもうすべて足りている(欲をかいてはいけない)」というような意味だそうです。

ただでさえ欲深い人間。
「まだ足りない。もっと、もっと」と言う前に、立ち止まって見回してみなさい。
感謝の念、ありがたみを持ちなさいという訓示でもあります。

吾と我

吾、唯足るを知る。
この「われ」は「吾」です。「我」ではありません。
「口」という漢字を使うことからこの字が選ばれたのかもしれません。
でも、「吾」という漢字の成り立ちをみると、さらに深いものがあるようです。

「吾」という漢字は「五」と「口」で成り立っています。
「五」は昔の占術における組木を表していると言われます。
そして神のお告げがその下の「口」から発せられる。
自分の内側・中心から出てくるもの、宇宙との繋がりを表しているといわれるのです。

一方の「我」。
これは武器を象形する2つの文字からできているそうです。
他人を寄せ付けない、武器を持って身構え外敵から身を守る自分、そういう「自己」を表しているといいます。

これでは蹲から水は湧き出ることはできませんね。

吾から悟るへ

謙虚に自分に向き合い「吾」と「心」がつなげようとします。
本当の「吾(自分)」を知るということにつながります。
欲を追い求めることなく、足るを知る。
その心(=りっしんべん)により「悟り」を開くことができるのでしょうね。

節目節目でこの言葉を思い出していきたいですね。

ーーー

【編集後記】

昨日はサッカーで日本が決勝トーナメントに進むことになりました。
その試合について、瞬間的に賛否両論が出ました。
いずれ、時がこれを検証してくれるのでしょう。
自分の意見を持つことは大事ですが、「我」をまとって攻撃的にならないようにしたいものです。