6月になりました

今月は祝日がない・・

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2ヶ月ほど過ごしてみた

3月にお会いしたある方との会話の中で、「!」と思ったことがありました。
そこで、4月からあることを試してみました。

ちょうど2ヶ月ほど経ち、その結果を踏まえて、次なる判断(試み)をしてみたいと思います。

判断には2つある

日々は判断の連続です。
そんなに大げさでなくても、常に選択をしています。

・今日の夜は魚か肉か?
・今日はこの靴にするか、あっちの靴にするか?
・今日のカメラはこれにするか、あれを持ってくか?

肉か魚のどちらかを選ぶか、両方食べるのも選択ですし、肉・魚以外のものを食べるというのも選択です。

こういう類のものは、正解はありません。
正直どうでもいいわけです。

一方で、この患者さんにAという処置をするか、Bという処置をするか?
この判断はどっちでもいい、というわけにはいきません。
場合によっては命に関わるからです。

判断はなぜ必要なのか

判断をしない、という判断もあります。
というか、これは「今、決めるか決めないか?」の判断をしたということでしょうか。
判断の先送りです。

判断をしなかったことで、さらに悪化するような場合もあれば、判断しなかったことがよい結果をもたらすこともあります。

どんなことでも、判断は必ずどこかでする必要があります。

そして、判断することで、必ず結果がでます。
そして、それが正解か、そうでなかったかが分かります。
その前に、次なる判断を迫られることもあるでしょう。

結果を気にしすぎたり、正解に囚われすぎることはありません。
大切なのは、自分で選ぶ、判断することだと思います。

結果と正解

判断をすると、結果が出ます。
ときにその結果は、「正解・不正解」と区分されてしまいます。

でも、正解・不正解って、そのときの、誰かの意見でしかありません。
今まで正解だったことが不正解だったり、今までまちがいとされていたことが、正しかったり。
そんなことはいくらでもあります。

多くの正解・不正解は、そのときの自分の感情だったりすることも多いわけです。

そうすると、
・結果を出さなければいけない
・正解を出さなければいけない
と思うことはナンセンスでしかありません。

どっちに転んでも、リカバリーできる力。
次なる判断をできる力のほうが大切です。

判断を迫られたときに、いかに自分の思う方向に行けるか。
その力をつけておきたいものです。

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